昭和南海地震から77年:高知県で起震車による防災訓練を実施!
1946年12月21日、日本は昭和南海地震に見舞われました。このマグニチュード8.0の強大な地震は、高知県沿岸部に4メートルから6メートルの津波を引き起こし、679人の死者・行方不明者を出しました。
77年が経過した今日、高知県ではこの歴史的な災害を振り返り、県職員に向けた防災訓練を行いました。
訓練では、VRゴーグルを使用した地震シミュレーションを通じて、実際の地震の体験とその恐怖を伝えることに重点を置きました。
この記事では、昭和南海地震の記憶を保ちつつ、現代の防災意識の重要性と、将来の災害への備えについて掘り下げていきます。
歴史的な地震を振り返る
1946年12月21日に発生した昭和南海地震は、マグニチュード8.0の巨大な地震でした。高知県沿岸では4メートルから6メートルの津波が押し寄せ、死者・行方不明者は679人に上りました。
防災意識の向上
77年後の同日、高知県庁では、県職員の防災意識向上のために起震車体験が行われました。これはVRゴーグルを使った疑似体験で、職員たちは自宅や学校での地震体験をシミュレーションしました。
リアルな体験
体験に参加した職員は、「四つんばいだから耐えられましたけど、立ってたら多分無理ですね」と感想を述べました。この体験は、実際の地震の恐怖を伝えることに成功しました。
被災者の回顧
高知市二葉町に住む岸田康彦さん(92歳)は、当時15歳でこの地震を体験しました。「ドンというものすごい音がした。それで目が覚めた。それから揺れだして」と岸田さんは回想します。彼は傾いた家から裸足で逃げ出し、助かりましたが、多くの犠牲者を目の当たりにしました。
教訓としての災害
岸田さんは、「命は自分で守らないといけない」と強調し、「自助」と「共助」の精神の重要性を訴えています。南海トラフ地震は今後30年以内に70%から80%の確率で発生すると予測されています。
地域コミュニティの役割
災害時の相互支援は非常に重要であり、地域コミュニティの役割が強調されています。岸田さんの体験は、災害時の人々の連帯と助け合いの重要性を浮き彫りにしています。
起震車の活用
高知県南海トラフ地震対策課は、学校や職場での防災教育のために起震車の無料貸し出しを行っています。この取り組みは、地震のリアルな体験を通じて、より効果的な防災意識を醸成することを目的としています。
昭和南海地震の77周年を記念し、防災訓練と教訓の重要性を強調しています。過去の災害から学び、未来の災害に備えることが大切です。
まとめ
この記事では、昭和南海地震の77周年に際し、高知県で行われた防災訓練とその重要性を詳しく見てきました。VRゴーグルを用いた地震シミュレーションは、職員たちにリアルな体験を提供し、防災意識の向上に貢献しました。また、92歳の岸田康彦さんの貴重な証言を通じて、昭和南海地震の実際の恐怖と被災者の体験を伝え、自助と共助の精神の重要性を強調しました。南海トラフ地震の発生可能性が高まる中、このような訓練と教訓の共有は、将来の災害に備える上で不可欠です。
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おわりに
いかがでしたでしょうか?
昭和南海地震から77年が経過し、その記憶は時と共に薄れつつあります。
しかし、この記事を通じて、過去の災害から学ぶことの大切さを再認識することができました。
防災訓練や被災者の証言は、私たちに災害時の対応の重要性と、地域社会における相互支援の精神を教えてくれます。
今後も、このような教訓を生かし、災害に強い社会を築くための努力を続けることが重要です。
高知県の取り組みは、その一環として非常に価値のあるものであり、他の地域にも広がっていくことを期待します。
直近4回の南海トラフ地震はすべて12月に発生していますので、防災意識を高めましょう!
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